平成23年東北地方太平洋沖地震関連

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東北地区(仙台地区地すべり)の被害・復旧状況


更新日 : 2011年11月25日

 学園祭の準備日である10月27日に本研究室学生とともに仙台地区の地滑り現場を視察して参りましたので報告させていただきます。津波被害が報道で大きく取り上げられている中、7ヶ月以上も経過したとは思えないほど被害がそのままになっているようでありました。もちろんその背景には、補修費等の支払い分担等が決まっていないためのものと思われますが、一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。
がんばろう東北!  がんばろう仙台!!

    
日  時
調 査 地 点
10月27日 宮城県仙台市青葉区中山
宮城県仙台市青葉区滝道
宮城県仙台市青葉区折立
宮城県仙台市青葉区西花苑
宮城県仙台市青葉区緑が丘

被災から7ヶ月過ぎても・・・
宮城県仙台市青葉区
 研究室の学生の強い希望により、仙台内陸部の地すべり現場を視察に行きました。【写真・上左】は最初に訪れた青葉区中山の現場であります。左側が斜面になっており地すべりが発生した部分である。現在もブルーシートで覆われたままでありました。住宅部分にも被害が及んでおり、【写真・上中】のような状態でありました。現在も地すべりが続いているようで、インバーワイヤーによる地すべり地の地表面の変位計測が【写真・上右】にように行われていました。
 【写真・2段目左】は、滝道地区の現場で斜面が崩壊している現場である。バックホーで不安定な土砂が取り除かれてはいるものの依然危険な状況である。近くのアパートの駐車場も【写真・2段目中】のように大きな亀裂や沈下が見られており、手かつけられていないようであります。
 【写真・2段目右】は、折立地区の現場であります。擁壁及び基礎地盤がすべってしまっており、路面にまで影響が及んでおりました。【写真・3段目中】も折立地区で、左の擁壁が押される形で家屋が破壊しておりました。【写真・3段目右】は擁壁ごと1.5メートルほど道路に押し出されている形ですべっていました。
 【写真・4段目左】は西花苑地区で、家がまるまるすべり落ちている形でありました。 【写真・4段目中】は緑が丘地区で、道路の半分がすべってしまった状態になったままでありました。【写真・4段目右】も緑が丘地区であります。ブロック塀が不連続になっている様子が見られます。
一日も早い復興を望みます。






関東地区の被害・復旧状況(第2報)


更新日 : 2011年05月15日

 東日本大震災から約2ヶ月が経過しました。日本大学の被災状況は、震源に近い工学部(福島県郡山市)の被害が大きかったようであり、連休明けに新学期をスタートしました。東京近郊のいくつかの学部でも校舎の被害等により新学期を遅らせたところもありましたが、幸いにして理工学部は予定通りに授業が開始されております。
 ゴールデンウィークを利用して再び関東地区の被災状況および復旧状況を調査して参りました。いたるところで『がんばろう日本!』のスローガンが掲げられ、復興に向けた復旧作業が行われております。

がんばろう日本!  がんばろう日大!!

    
日  時
調 査 地 点
5月05日 茨城県潮来市
5月05日 茨城県鹿嶋市(サッカースタジアム 他)
5月05日 茨城県鉾田市(鹿行大橋)
5月06日 千葉県浦安市(新浦安駅周辺)
5月08日 千葉県千葉市美浜区磯辺

被災から2ヶ月(茨城県の様子1)
茨城県潮来市日の出地区
 5月5日に東関東自動車道・潮来インターそばの日の出地区に調査に向かいました。道路には砂利が敷かれていたり、復旧工事が行われているおりましたが、【写真・上左】のように電柱は依然道路側に傾いたままでありました。【写真・上中】は住宅側に今にも倒れそうな状況の電柱であります。この住宅はブッロク塀が液状化により沈下しており、至るところに、段差やクラックが見られました。家の外周には「圧送管」と書かれた汚水管が設置されており、緊急的な復旧は終了しているようでありました。【写真・上右】と【写真・下左】は、歩道の下にある側溝が浮力で持ち上げられている状況であります。持ち上げられたコンクリートブロックの裏側もマンホールが被害を受けていました。【写真・下中】は学校のグラウンドにアスファルトなどの瓦礫が山積みされていました。がんばろう!!日の出【写真・下右】



被災から2ヶ月(茨城県の様子2)
茨城県鹿嶋市・カシマサッカースタジアム周辺
 【写真・上左】潮来から北上して鹿島サッカースタジアムに行きました。スタジアム周囲の被災状況は【写真・上中】の写真に見られるとおり外周部のアスファルトに亀裂が見られる程度でありました。駐車場も液状化は起こらなかったようであります。スタジアムの中に入ると、【写真・上右】のとおりピッチも無被害ですぐにでも試合ができる状態でありました。しかしながら【写真・下左】のような工事が行われていました。これは屋根に取り付けられていた照明装置を四隅の2階席に移設する工事だそうで、被害を受けたということではなく、観客の安全を考えて行われているそうです。その他にも【写真・下中】のように観客席を固定しているコンクリートにクラックが入っており、6月のホーム開幕に向けて急ピッチで作業が進められていました。スタジアムから車で10分ほどの場所にある鹿島アントラーズのクラブハウス周辺は液状化によるマンホールの飛び出しや道路の沈下などの被害が見られました。【写真・下右】はテレビCMでも有名になったシャルケの内田篤人選手(2010年まで鹿島アントラーズ所属)の大震災被災者への激励メッセージが書かれたユニフォームがクラブハウスに展示されていました。



被災から2ヶ月(茨城県の様子3)
茨城県鹿嶋市・鹿島灘漁協周辺
 【写真・上左】は鹿島アントラーズのクラブハウスから海方面に行く途中で護岸が崩壊している箇所がありました。周囲は工場地帯であるため復旧の優先順位が高くなかったものと思われます。【写真・上中】も同じ箇所でありますが、歩道下には埋設管があるため注意を促す張り紙がされていました。歩道の歪みも埋設管の浮上によるものであると推測されます。【写真・上右】は海岸線に設置された防波堤の修繕が行われていました。古い防波堤を一度壊してから新しいものを作るようであります。【写真・下左】は鹿島灘漁協付近の岸壁でありますが、液状化による側方流動によって岸壁ブロックが海の方向に押し出されていることがわかる。また、その背面ではブロックが沈下している様子が【写真・下中】から理解できる。【写真・下右】は液状化により沈下した電信柱であります。電線と地面の隙間は乗用車1台が通れる高さになってしまっていました。



被災から2ヶ月(茨城県の様子4)
茨城県鉾田市・鹿行大橋周辺

 北浦を横断して鹿島と行方を結ぶ「鹿行大橋」が落橋して1名の犠牲者が出たそうです。【写真・上左】は橋と取り付け道路の境界に立てられた通行止めのフェンスであります。写真からもわかるとおり段差が1メートルほどに及んでおり、手前の道路が大きな沈下が起こっていることがわかります。【写真・上中】に見えるように落橋した箇所は中央部であります。近くまで行くことはできませんでした。橋の北側に新しい橋が建設されている途中であり、こちらにも被害が生じたようであります【写真・上右】。現在は新(工事中)・旧(被災)の橋が共に通行することができないため、北側か南側を迂回しなければならない状況であります。【写真・下左】は付近の堤防の被害状況であります。のり面がブロックごとに滑ってしまっている状況であります。【写真・下中・下右】は道路沿いにできた亀裂であります。その大きさは幅15〜20センチに及んでおりました。





関東地区の被害・緊急速報


更新日 : 2011年03月31日

 平成23年3月11日14時46分頃に三陸沖を震源としたM9.0の巨大地震が発生しました。気象庁は「平成23年東北地方太平洋沖地震」と名付けました。ご承知の通り、東北地方は10メートルを超える大津波の被害が大きく、2万人を超える死者・行方不明者が報道されております。被害にあられた方々、ご家族・関係者の方々に心からお見舞い申し上げます。

関東地方でも震度5強という揺れが観測され東京湾岸域では大きな被害が発生しております。関東で被害が報告されている地点の調査に行って参りましたので報告させていただきます。

    
日  時
調 査 地 点
3月13日 神奈川県横浜市金沢区
3月14日 千葉県浦安市(舞浜周辺)
3月16日 千葉県千葉市(マリンスタジアム周辺)
3月26日 茨城県東茨城郡大洗町
3月26日 茨城県ひたちなか市
3月26日 茨城県小美玉市(茨城空港)
3月30日 千葉県旭市
3月30日 千葉県香取市佐原

巨大地震が発生した時
東京都目黒区、千代田区
 東日本巨大地震が発生したとき、東京大学生産技術研究所(目黒区駒場)でニュージーランド地震被害報告会(土木学会・地盤工学会共催)に参加しておりました。「橋梁の被害」の報告の途中で、講堂に緊急地震速報がアナウンスされました「30秒後に震度3の地震がきます」。その後報告会は中止となり散会となりましたが、電車がすべて止まっているため徒歩で御茶ノ水に戻ることにしました。
 その際に【写真・左、中】のように京王井の頭線から乗客が降りている場所を見ました。最初は脱線したものと思いましたが、駅員の説明で緊急停止したものだとわかりほっとしました。4時間かけて御茶ノ水に到着したところ、研究室は【写真右】のように本が落ちてきたり、パーティションが倒れいたりという被害でありました。


東京湾岸の被害状況 1 (神奈川県の被害状況 )  
神奈川県横浜市金沢区

 最初の被害現場は神奈川県横浜市の八景島付近で3月13日に調査に行きました。ここは平成14年に横浜市住宅供給公社が分譲したマンションであります。【写真・上左】のようにマンションのあいだの道路が液状化により沈下しており、植木も曲がっております。【写真・上中】は道路との段差が50cmほどありました。マンションへの被害は、一部の家で排水管が機能しておらず、仮設トイレも準備されておりました【写真・上右】。

 【写真・中左】に見られるように左側のマンションと中央の道路は上述の通りであります。右側の駐車場はもとは沈下した道路と同じ高さであったそうです。この駐車場は地下に3層式となっており、液状化に伴う浮力で1.5m以上も持ち上がったようであります。【写真中中】を見ると左右の3層式の駐車場が一体化されていたため、一緒に持ち上げられたと考えられます。【写真・中右】は近くにある別の駐車場も同じように浮力で持ち上げられておりますが、こちらは左右が別々に設置されていたものと思われ、軽自動車が留まっている部分は持ち上げられておりません。

 周辺の道路の状況は、【写真・下左、下中】のように大きな噴砂の跡くっきりと残っており、液状化の凄さを物語っております。噴砂により沈下した道路にクラックが入っている写真が【写真・下右】です。

 現地では、市議会から木村ひさよし議員も視察に来られており、液状化現象の状況説明をいたしました。
こちらでそのときの写真を見ることができます)



東京湾岸の被害状況 2 (千葉県の被害状況 1) 
千葉県浦安市(舞浜周辺)


 2カ所目の被害現場は千葉県浦安市で3月14日に調査に行きました。現在ディズニーランドも休業しているほどであります。ディズニーランドはご存じの通り昭和58年にオープンして、まもなく30周年を迎えようとしています。オープン以来の初めての休業に当たるような被害を受けたようであります。内部は見ることができませんでしたが、周辺を調査しました。

  【写真・上左】はディズニーランドの入り口付近であります。道路のセンターラインに5cmほどの段差が見られたり、道路を横断する亀裂も見られます。【写真・上中】は裏手のホテル街の付近でありますが、歩道と車道に20cmほどの段差が見られ、納品車用の入り口は機能しておりませんでした。【写真・上右】はホテル付近の歩道に生じている陥没であります。これらの原因はすべて地盤が液状化したことによる沈下がもたらしたものであります。

 【写真・中左】はJR京葉線の舞浜駅の被害状況であります。デッキを支える柱は周辺地盤に液状化が生じても変動は見られませんが、周辺地盤が沈下をしてしまったために抜け上がっているように見えます(構造物の抜け上がり現象)。駅周辺の柱のすべてがこのような状況にありました。【写真中中】柱で囲まれた部分に液状化して吹き上げてきた泥水が堆積して上部には水が浮いている状況です。放置されていた自転車は泥水に埋まり前輪が埋まってしまうほどの噴泥が見られました【写真・中右】。駅周辺の飲食店はすべて休業中で、ライフラインが遮断されているようであります。

 ディズニーランドからさらに進み、千鳥という物流の倉庫が建ち並ぶエリアに行きました。【写真・下左】のように道路はアスファルト舗装がしてあるとはわからないほどの噴砂が見られます。しかも土砂が乾燥して車が通るたびに粉塵となって襲ってきます。また歩道際のフェンスも土台が支持力を失い倒れかかっていました。【写真・下中】は物流倉庫の入り口でありますが、車道と歩道の段差が大きくアスファルトも畝っているため、これではトラックが入るのも不可能であります。さらに先に進んだ岩壁も液状化に伴う側方流動により空洞が生じてしまっているのがわかります【写真・下右】。

 現地では、八光社梱包運輸の神林さん(本学・法学部卒)に大変お世話になりました。



東京湾岸の被害状況 3 (千葉県の被害状況 2)
千葉県千葉市美浜区(マリンスタジアム周辺)


 3カ所目の被害現場は千葉県千葉市美浜区で3月16日に調査に行きました。、千葉ロッテマリーンズのマリンスタジアム周辺です。マリンスタジアムは平成2年に開場され20年が経過しています。プロ野球もパリーグの開幕が延期となったようですが、マリンスタジアムの様子はいかに・・。

  【写真・上左】マリンスタジアムに向かう歩道上に飛び出たマンホールであります。下水管やマンホールは中空であるために地盤が液状化すると浮き上がってきてします。20cmほどの浮き上がり量でありました。【写真・上中】は同じマンホールの延長線上に千葉県企業庁の管理する空き地の写真であり、マンホールがきれいに隆起している様子が見えまする。柵があり近づくことができませんでしたが、写真を見る限りでは30cm以上の浮き上がり量と思われます。【写真・上右】は歩道が液状化の流動により右側に押され、植え込みの部分で舗装がめくりあがってしまった様子であります。

 【写真・中左】はマリンスタジアムの周辺であり、いたるところに砂が吹き上がっている状況でありました。地盤の液状化にともなう噴砂によるものですが、噴砂の跡は【写真中中】のようにブロックが落ち込んで、空洞となっていました。【写真・中右】は放置されていたバイクが噴砂により埋まってしまった様子であります。いろいろなところで砂の撤去作業が懸命に行われていた。

 マリンスタジアムを後にして歩いていると横断歩道に段差ができている場所を見ることができた【写真・下左】。横断歩道の基礎が杭基礎で支えられていて、取り付けの階段だけが沈下してしまったものと考えられます。20cmほどの沈下でありました。また、【写真・下中】は歩道にできた亀裂であります。ブロックが既に剥がされていますが、亀裂・空洞ともに大きく危険な状況でありました。【写真・下右】は調査最終地点のJR京葉線の海浜幕張駅付近であります。駅前のレストラン街となっている箇所で、構造物が抜け上がってしまって段差ができています。ライフラインは大丈夫であるようで、すべてのレストランが営業していました。




茨城県の被害状況 1 
茨城県東茨城郡大洗町


 4カ所目の被害現場は茨城県東茨城郡大洗町で被災15日後の3月26日に調査に行きました。前日が日本大学卒業式でありましたが、日本武道館での卒業式は中止になり、学科ごとの学位記伝達式のみ行われました。調査した大洗地区は、ニュースで津波の被害が大きく報道されていた地点であります。

写真上段は大洗フェリーターミナルの状況である。【写真・上左】は液状化によりアスファルト舗装部が陥没している箇所であります。【写真・上中】は岸壁のブロックが5センチほどの幅で左側に押し出され、隙間が空いている状態となっておりました。【写真・上右】岸壁のブロックが沈下して20センチほどの段差となっていました。津波の影響でフェリーターミナルが被害を受けたため、現在はフェリーも運航されていないためひっそりとしていました。

【写真・中左】は大洗漁港の様子であります。漁港もフェリーターミナルと同様に岸壁ブロックが大きくずれておりました。【写真中中】の防波堤が陥没してしまい復旧作業が行われておりました。【写真・中右】は津波により打ち上げられた漁船であります。漁船の移動作業も行われておりましたが、まだ5艘ほどが放置されている状態でありました。

【写真・下左】は漁港から80メートルほど離れた地点にあるコンビニエンスストアの倉庫です。津波の後が壁面にくっきり残っており、この地点で1.5メートルほどであります。【写真・下中】は付近にある電柱です。歩行者用押しボタンが地面すれすれにあるということは、50センチほどが地面に潜り込んでしまったようであります。【写真・下右】は漁港に駐車してあった車の内部を撮影したもので、砂まみれになっている状況でありました。地震発生時も駐車されていたようで、目撃者の話では津波により100メートル近く移動していたそうです。




茨城県の被害状況 2 
茨城県ひたちなか市


 5カ所目の被害現場は茨城県ひたちなか市で大洗町とは那珂川を挟んで対岸に当たる場所であります。この地点では、那珂川の河口付近の堤防を3月26日に調査いたしました。

【写真・上左】河口付近のブロックばりの堤防が、津波による浸水のためブロックが散乱している状態でありました。【写真・上中】は同じ地点ですが、ブロックは散乱していないものの、液状化に伴う地盤沈下で階段とのあいだに20センチほどの隙間ができてしまった状況であります。【写真・上右】も同じ地点でありますが、地盤沈下、マンホールの隆起、ブロックの散乱などが見られておりました。

【写真・中左・中中】那珂川の堤防を上流に進んだところで、堤防が崩壊している箇所がありました。砂地盤の液状化に伴う側方流動や津波による洗掘等により、堤防下端がから滑り出すような形で崩壊しております。【写真・中右】の裏側の川の中にあるコンクリートブロックも乱れた状態になっており、力の大きさが推測されます。

【写真・下左・中】はさらに上流に行ったところで崩壊していた堤防であります。中段の写真の状況と同じように川側に堤防が押し出されており、天端の地盤には大きなクラックが入っておりました。【写真・下右】はさらに上流に架かる湊大橋でありますが、調査日現在でも車両通行止めという状況でありました。(被害の程度は不明ですが、橋脚にひび割れが入っているそうです。こちら






茨城県の被害状況 3
茨城県小美玉市(茨城空港)


 6カ所目の被害現場は茨城県小美玉市にある開港1周年を迎えた茨城空港であります。旅客ターミナルの天井部に被害があるということで調査に行きました。

【写真・上左】茨城空港のターミナルであります。3月14日にスカイマーク社が神戸・名古屋・札幌の各便を再開されたそうでありますが、ターミナルの2階部分は立ち入りが制限されていたことと、天井部の損傷したパネルが取り外されていたため、【写真・上中】のように一見しただけでは被害を受けたかどうかは判断できないようであります。【写真・上右】に唯一損傷を受けた天井パネルが写真中央部に見ることができました。

【写真・下左】はターミナルの外周部でありますが、ここの部分だけ数ミリの隙間ができている他、建物には被害がないようであります。【写真・下中・下右】のエプロン部や滑走路部においても目立った損傷は確認することができませんでした。




千葉県の被害状況 3 
千葉県旭市


 7カ所目の被害現場は浦安地区、幕張地区に引き続き千葉県旭市であります。3月30日に調査した旭市飯岡地区は、13名の死者がでた津波の被害が大きく報道されていた地点であります。

【写真・上左】ブロックの防波堤が津波によって倒されている状況であります。左側にはブロックの代替として大型の土嚢(どのう)が用意されておりました。防波堤の復旧工事はまだ行われていないようであります。【写真・上中】飯岡地区はだいぶんと片付いておりましたが、この写真のように所々に津波で流されたものが残されておりました。【写真・上右】建物の状況も、全壊・半壊で750戸を超える被害を受けたようでありますが、大部分が取り壊されておりました。所々にこの写真のように建物が壊れた状況で放置されていたり、取り壊しているところでありました。

 【写真・中左】九十九里ビーチライン沿いに造られた自転車専用道路であります。のり面にブロックがない箇所を中心に【写真・中中・中右・下左】のようにが自転車道が陥没する被害を受けておりました。陥没箇所を見ると舗装の下は砂地盤となっているようで、津波により砂が洗掘を受けたことや砂地盤の液状化によるものと考えられます。【写真・下中】は自転車道にある標識でありますが、基礎のブロックが綺麗に陥没する形になっており、標識が傾いておりました。【写真・下右】は建物に残された津波の跡でありますが、1.5メートルを超える位置にくっきりと残っておりました。




千葉県の被害状況 4 
千葉県香取市佐原地区


 8カ所目の被害現場は千葉県香取市佐原地区であります。3月30日に調査したこの地域は、以前は佐原市でありましたが、2006年に市町村合併を行い香取市となっておおります。古い町並みが被害を受けているという報道がされておりましたので訪問しました。

【写真・上左・上中】は伊能忠敬の旧宅であり国の史跡に指定されております。地震の被害を受けているようで休館の案内が出ておりました。内部までは見ることができませんでしたが、屋根にブルーシートがかけられておりましたので、瓦が落ちる等の被害があったようであります。また、この周辺の古い町並みの至るところに、ブルーシートが見ることができました。【写真・上右】は新しい建物(病院)であり、階段と道路に段差が5センチほど生じており、地震により道路が地盤沈下したものと思われます。花壇のブロックもずれているところが見られます。

【写真・中左】小野川を利根川方向に下った地点が、最も大きな被害を受けている箇所であります。堤防沿いの柵と道路のあいだに30センチを越える亀裂が入っておりました。また道路も沈下がひどくデコボコした状態になっており砂が吹き出た形跡もありました。【写真・中中】に見える小野川に係留してあったボートは砂の上にありました。地震直後は川全体が砂に埋まっていたようであります。すなわち、両岸の地盤が地震により液状化が生じ、護岸が側方流動を起こすと同時に川への噴砂によるものと考えられる。噴砂は両岸で起こっており川が砂で埋め尽くされたものと思われます。これだけの砂が噴き出たために、【写真・中右】のようにブロック塀や家にも大きな被害が出ておりました。

【写真・下左】も小野川沿い被害状況であり、道路の沈下や噴砂が見られました。【写真・下中】小野川に注ぐ水路でありますが、小野川と同じように両岸からの土砂で水路が埋まってしまったようであります(現在は中央部だけ掘り割りが入れられております)。【写真・下右】は佐原中学校のテニスコートを金網越しに撮影をしたものでありますが、テニスコート状に大きな噴砂の跡が何箇所も残されておりました。

 

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